鍋に頭をぶちまける

結構変でかなりひねくれた性格の私(宇宙人)が、生きてて腹が立ったこと、それについて考えたこと、頭の中に浮かんできたこと、洗いざらいぶちまけます。

民主主義、とは

 別に特段気を使って政治に関するニュースをチェックしている、といったことはないのだが、政治家というのは、本当に「国民の意見を代弁するため」に働いているのか、というのを思う。あれは本当に皆の意見を提出するための役割であるだろうか。
 
 代議士たちがひとりひとり私達にインタビューしてくれたことがあるだろうか。一人ひとりの、根拠とか感情とか信念とかのバックグラウンドを含めた上の「意見」を練り合わせた上の主張を国会で発表しているだろうか。もちろん国民というのはとても多くて、それぞれ忙しくて、実際にそうすることは無理である。選ばれたメンツでさえ、全員が心置きなく意見を語る時間を取れていないのだから、できるわけがない。ある時間やお金を有効に使ってできる限りの結果を出すのも、人間のあり方であろう。しかし、本来、というか理想はそうでなければならない、ということを本当にわかっている人がどれだけいるのか。根っこにはルソーその他の契約論があるのだということを、一体どれだけの人たちが考えているのだろうか。
 現実に即して政治のあり方を見てみたときに、政治家にはまず自分の意見があり、それを有権者に対し説得して投票してもらい、代議士になる、といった流れがありがちだなぁと思う。もちろん有権者みんなが政治について必要な知識をすべて有しているわけじゃないし、例え有していてもそれをいちいち時事問題に当てはめる時間はない。となれば他の人が、専門的に、それを代わりにやって、うんいいんじゃないですか、と承認する形態のほうが効率的である。政治だけでは生きていけない、誰かが食料を作り、誰かが家を作りインフラを整備し、誰かが服を作らなければならない。分担しよう、となるのはけして疑問に思っていない。
 でも今はさすがにやりすぎじゃないかな、と思うところがある。これに関してはこっちの人の意見がいいんだけど、こっちに関しては反対側の人だなぁ…となるときだってある。でも私達に選べるのはどの人にするか、だけである。これは本当に自分の意見を伝えたと言えるのか。もっと青臭いことをいえば、代議士はさらに党にまとめられて、党のご意見として伝わることになる。党が議会のうち少数派であれば、なんとか議席は獲得したとなっても、結局なされる決定にはなんにも関与できないのだ。もし自分が投票した議員本人の意見はいいなと思っても、党が言ってることはニュアンスが違う、となったらそれはもはやどこにも根拠のない事実ではあるまいか。この意見は、現実になされている政治は、一体誰が言いだしたものなのか?
 そして議会を見ていれば気に入らないから議会でませーん、なんて議員がおり、モラハラ発言の議員もおり、これはなんなんだ、という話になる。サボタージュだかボイコットだか格好つけてるのか知らないが、あなた達の給料を払ってるのは国民で、あなた達の仕事は支持してくれた人たちの(承認してくれた)意見を話し合うことだ。許されない方に向かう話に抗議するのは結構。しかし雇い主でもない与党は、会議に人がいないから行動改めます、とはならないだろう。もうちょっとマシなことしてくれ、となる。これでも日本で一番難しい試験のうち1つをクリアした人たちなんだとは、なんだか悲しい。
 大人たちに言われたセリフをそのままお返ししよう。「私は君たちに期待しています。ぜひ答えて見せてください。」