鍋に頭をぶちまける

結構変でかなりひねくれた性格の私(宇宙人)が、生きてて腹が立ったこと、それについて考えたこと、頭の中に浮かんできたこと、洗いざらいぶちまけます。

コンビニのエロ本

 どこかの団体が、この反対キャンペーンに乗り出したようだ。ただ単純に反対賛成を言える問題ではないかな、と思う。
 確かに、表紙からして結構な写真、イラスト、扇情的ワードを示しているあれら薄い本が、特にレジでの年齢確認もなく簡単に売られてしまっている状況が良いのかというとそうではない。嫌でも目に入る事実があり、それで嫌な思いをしている人がいるとか、子供に悪影響を与えているという意見ももっともだと思う。
 しかし、じゃあ売るのをやめればいいのかというとそうではないとも思う。
 最近よく言われていることに、アニメ好きなどの従来オタクとして蔑まれがちだった層に属すといえる人が何か問題を起こした場合に、いかにもそのような嗜好が犯行の動機であったかのように、犯罪者であることとの関連があるかのように報道することに対する反発というのがあるだろう。もちろんそのような嗜好が影響を与えた可能性がゼロであると言えるわけではないが、同時に、確実であるともいえない。またこれまでの犯罪者の脳には骨格にはなんらかの特徴が見いだせて…といった主張も今日では否定される傾向にあり、それと同様に、相関関係があるといった言動はあまりするべきでない状況と言えるだろう。
 この問題と同じような目線に立つと、必ずしもエロ本を買う人、そしてそのような購入を手助けする商業が悪とは言い切れないのだ。性に興味があるのは当たり前で、それをある程度発散させたほうが人間生活は楽になり、そしてあのようなどぎついものが性癖であるのも自然であり、需要があれば商品化されるのも当然かもしれない。つまり、エロ本そのものは悪ではないし、それを買う人も悪ではないし、買う人がいれば売る人もいる。
 コンビニは商業から生まれたものだ。需要があるものを売って何が悪い。一般的な日常品が(値段やこだわりは別としても)一通り買える場所だ。エロ本がある程度の客にとって日常品なら、売っていいのだ。
 そういったものが世に存在することを子供が知っていてもいいと思う。いつしかは知ることで、むしろ知らなければならない側面もあることなのだから。言うべきは、肉体的に成熟していない子供が容易に行動に移すべきではないこと。あくまでも2次元中のこと、演技にとどめ、現実の相手に行ってはいけないものが含まれていること。むしろ存在を知っていることで、性犯罪から自分の身を守ることにも繋げられるかもしれない。まったくもって存在を認知していない敵からの攻撃を避けることはできないのだ。
 具体的に言えば、コンビニでない、例えばビデオ店のようなほかの業種が行ってきたように、見たくない人、見せたくない人は見ないで済む環境の整備だろう。気軽に買えるメリットと、あまりにすぐ目に入ってしまう公共性のデメリットとをうまく解決できるように、スペース分けにアイデア性が求められる。店側のコストは高すぎず、またいかにもな雰囲気を醸すことなく、極めてカジュアルに感じよく、「ここはエッチなものがあるところだからね」とお互いが納得できる仕切り。コンドームやテンガのパッケージデザインのように、明るい口調で世に提案できる環境と、鋭意あふれるデザイナーが出て来ると面白いかもしれない。